医療法人社団 智聖会 安藤病院

安藤病院は創立75周年を迎えました。

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HISTORY

安藤病院はこの度75周年を迎えました
創立当時から患者様と共に歩み続けてきた
地域医療の歴史を写真とともに振り返ります

EPISODE 00

安藤病院 創立まで

1800年代〜

1800年代

安藤家 長崎 島原出身

代々島原の医家で、島原藩 藩医であった

1856年 安政3年

安藤研斎 適塾入門

島原藩の藩医であった安藤研斎は安政3年に大坂の適塾(蘭方医・緒方洪庵が開いた蘭学塾)に入門する
「扶氏医戒之略」をはじめとする医学精神をはじめ、西洋医学の研究、種痘事業やコレラ治療など多くを学ぶ
そして、学んだ知識を故郷島原に持ち帰り、医院を開業する
島原医会設立にも尽力し、地域医療に広く携わった

写真:日本学士院提供

適々斎塾姓名録 表紙内題

写真:日本学士院提供

適々斎塾姓名録

適塾の門下生の姓名録で、日本学士院所蔵の「適々斎塾姓名録」にも『安政3年 安藤研斎 入門』の記載が残っている

写真:大阪大学適塾記念センター提供

適塾塾生 都道府県別名簿および分布図

「姓名録」に署名のある入塾者637名について作成された出身地別塾姓名簿
分布は全国にわたっている

写真:大阪大学適塾記念センター提供

九州 長崎県 安藤研斎

写真:大阪大学適塾記念センター提供

扶氏医戒之略

洪庵は、ドイツの医師フーフェランドの内科学の著書の蘭語訳書を「扶氏経験遺訓」(30巻)として日本語に翻訳した
巻末の「医戒の大要」は12カ条の訳文として整理され「扶氏医戒之略」として有名である
その第一条には「人の為に生活して己のために生活せざるを医業の本体とす」とあり、洪庵の医学の精神を示すものとして、塾生への教訓とされた

1904年 明治37年

安藤研斎の息子 豊樹
長崎 小浜 に新たに医院開設

安藤研斎の息子 豊樹
明治37年 長崎小浜にて新たに医院開設
生来語学が好きで、英語ドイツ語ロシア語の会話ができた
当時雲仙には夏になると上海、青島、大連などから欧米人が避暑に来ていたため、雲仙にも分院を設け、その外国人の診療も一手に引き受けていた

1941年 昭和16年

豊樹の息子たち
尼崎にて兄弟で外科内科医院を開業

豊樹の息子 前列左 研士 前列右 豊一

安藤研士
九大第一外科教室入局
尼崎市の坂本病院、大阪市の大野病院に勤務
その後、昭和16年尼崎市に研士、豊一兄弟で外科内科医院を開業

EPISODE 01

安藤病院 創立

1947年〜

1947年 昭和22年

安藤病院 開設
初代院長 安藤研士

尼崎市武庫川に兄弟で開業していた外科内科医院から独立
昭和22年 神田南通りに安藤病院を開院

救急車第1号

昭和22年

開院の地は神田南通り

昭和22年

1954年 昭和29年

昭和南通りに新病院建設移転(病床数 66床)

昭和22年開院するも、たちまち手狭となり7年後の昭和29年には新築移転となる

当時の阪神電車 尼崎駅看板

当時の外科診察室

外科医であった初代院長 安藤研士
昼夜を問わず診療にあたり、地域医療に身を投じる

1964年 昭和39年

救急告示病院に指定

1969年 昭和44年

昭和南通り病院玄関前

元旦 職員・職員家族と集合写真
中央右 研士(初代院長)中央左 忠嗣 (二代目院長)

外科診察室

病院旗の前で

EPISODE 02

東難波町へ 新病院移転

1974年〜

1974年 昭和49年

二代目院長に安藤忠嗣 就任

1974年 昭和49年

東難波町へ新病院建設移転 (病床数 80床)

病床数を66から80床へ増床
外科・内科・整形外科と救急病院としての機能を充実させていく

新病院ロビー

昭和49年

手術室

昭和49年

1982年 昭和57年

新築増築 (病床数 153床)

病床数を80から153床へ更に増床
救急病院としての機能をさらに強化する

集中治療室

昭和57年

病室

昭和57年

1990年 平成2年

忠嗣院長 診察風景

「断らない救急」を目指す診療体制を整える

EPISODE 03

個人病院から医療法人設立へ

2004年〜

2004年 平成16年

医療法人社団 智聖会を設立
初代理事長に安藤(北浦)奈由 就任

2005年 平成17年

三代目院長に北浦達也 就任

2006年 平成18年

医療療養病棟開設

来たるべく超高齢化社会に備えて一病棟を医療療養病棟に転換

2017年 平成29年

創立70周年記念

ザ・リッツ・カールトン大阪での記念式典
多くのスタッフと共に日頃の労をねぎらう

2021年 令和3年

コロナ病棟開設

逼迫する地域医療を前に、内部スタッフより開設の要望が上がる

2023年 令和5年

回復期リハビリテーション病棟開設

回復期リハビリテーション開設により、質の高い、集中的なリハビリテーションの提供が可能となる

MESSAGE

理事長挨拶

おかげさまで当院は、2022年に創立75周年を迎えることができました。
これもひとえに、皆様のご支援の賜物と深く御礼申し上げます。

さて、病院創立は1947年でありますが、私共の歴史ははそのはるか昔より、医家として代々医業を継いできております。
私共の高祖父は江戸時代 長崎・島原藩 藩医。
幕末には、大坂に行き、蘭医学者 緒方洪庵先生の適塾に入門し研鑽を積み、
その後、郷里 島原で医院を開業。
曽祖父も後を継ぎ、明治・大正・昭和と地域医療に携わっております。
そして、戦後に祖父が兵庫・尼崎の地に移り安藤病院を設立。
1964年には救急告示病院となり、24時間365日
地域の民間病院として二次救急の受け入れに尽力しております。
洪庵先生の「扶氏医戒之略」第一条には、「人の為に生活して己のために生活せざるを医業の本体とす」とあります。
この教訓は先祖代々受け継がれており、今もなお、私共の根本理念となっております。

これまでも、これからもスタッフと共に「利他に尽くす」医療を誠実に実践、邁進していく所存です。

理事長 北浦奈由